alone日記

このブログは、ぼっちの変な人が日常や考えを述懐していく日記です。

2023年超主観的マイベスト10曲!

2023年 たくさん音楽を聴いた

 2023年を1月の下旬という中途半端な時期に振り返りたいと思います。去年はワイヤレスイヤホンを買ったのでたくさん音楽を聴きました。早速、超個人的ベスト10を振り返ります!

 

10.  青く青く光る feat.ACAね / Lanndo

 ボカロPぬゆりのソロプロジェクト、Lanndoが「ずっと真夜中でいいのに。」のACAねをボーカリストとしてフィーチャリングした一曲。ぬゆり自身も歌唱している。2022年12月に出たアルバム「ULTRAPANIC」収録曲。このアルバム、本当に最高なのでみんな聴いてほしい!ぬゆりさんが客演した各ボーカリストの特徴を限りなく際立たせている。その中でも「青く青く光る」はぬゆりらしいロック曲であり、ACAねさんの貫くような芯がありつつも繊細な声が曲調にマッチしている。最近のぬゆりさんはロック方面に回帰しているような気がする。最近ぬゆり名義でリリースされたボカロ曲「ヘイズ」もごりごりのロック曲だ。ぬゆりさんは多様なジャンルの曲を作ることができるが、一貫した芯のようなものを歌詞、サウンドから感じるのだ。特に歌詞は個性が爆発している。

9. あいつら全員同窓会 / ずっと真夜中でいいのに 。

 今年リリースされたアルバム「沈香学」収録曲。曲自体は2021年にシングルでリリース済みである。たぶん僕ら19-22歳ぐらいの世代は、ずとまよ・YOASOBI・ヨルシカの3つのネットカルチャー発バンドを聴いている人が多いのではないだろうか。これら3つのバンドの個性は全く異なる。ずとまよは主張強めなベースが特徴的で、ストリングスを多用している。何と言ってもボーカルのACAねさんの唯一無二の声が、唯一無二の世界観のずとまよを作り上げている。

 「あいつら全員同窓会」はthe ずとまよって感じな曲だ。楽器は主にドラム、ベース、ギター、ピアノ、ストリングス。ずとまよの殆どの楽曲の編曲に関わっているのが100回嘔吐さんである。ラスサビ前の「お前 何言ってんだ?」もたぶん100回嘔吐さんなんじゃないかな。この曲はタイトルが衝撃的だった。あいつら全員同窓会っていう曲名だけで情景がぼんやりと浮かぶ。歌詞は語感やリズムを重視しつつ、言葉遊びもしながら、伝えたいことを伝えているように感じる。特に、ラスサビ終わりのアウトロ部分が印象的である。

8. ハルニ / 煮ル果実(feat. Ci flower)

 去年3月に発売されたCi flowerをflowerの使い手である煮ル果実さんが早速使用して作られた楽曲。残念ながらサブスクではまだ聴けず、YouTubeで聴ける。去年9月に出されたアルバム「FRUITAGE」ではflower歌唱になっており、キーも下がっている。個人的にはCi flowerバージョンの方が好きである。(正直、Ci flowerはflowerとはぜんぜん違う。煮ル果実さんがインタビューで語っていたように、得意とするキーもCiの方がかなり高いのだ。)「春に賭して」というサビの歌詞が象徴的である。春に新たなスタートを切る人々への応援歌である。この曲が煮ル果実さんの他の曲を聴いてみるきっかけになったぐらいハマった。煮ル果実さんはボカロに並々ならぬ愛と熱意を持っているように感じた。ボカロならではの表現を突き詰めている。

7. 光の中へ / 結束バンド

 アニメ『ぼっち・ざ・ろっく』の主役である結束バンドのシングル曲「光の中へ」。去年私はロックをたくさん聴いたのだが、これはまさしく結束バンドの影響である。ロックの素晴らしさを改めて教えてくれたような気がする。結束バンドはギター2本、ベース、ドラムという超絶シンプルな編成である。現代音楽の中では非常に音数が少ない。それでもアレンジが上手いため、全く聴き飽きないロックに昇華している。シンプルな編成でもアレンジやミックスなどを工夫し、音数が多い曲にも全く劣らない楽曲に仕上がっている。結束バンドは歌詞も素晴らしい。アニメでは主人公のぼっちちゃんが歌詞を担当していることになっており、少し暗い感じの歌詞である。それでもサビでは前を向けるような歌詞が並んでいる。結束バンドの楽曲は現代のJロックを引っ張っていける力がある。

6. 青のすみか / キタニタツヤ

 『呪術廻戦』第2期「懐玉・玉折」OP曲である。紅白歌合戦でも歌唱され、2023年を代表する1曲と言っていいだろう。イントロのアルペジオが不気味さを醸し出し、AメロBメロは青春感を感じさせる。サビは青春と後悔が混ざりあったような響きを感じる。この青春と後悔、不完全燃焼の表現が非常に上手い。サビでのキタニタツヤさんの歌い方も憂いを含んでいるようで非常に良い。呪術廻戦と言えばEveさんの「廻廻奇譚」が印象的だろう。この「廻廻奇譚」も「青のすみか」も、ギターロックでジャンプ漫画の王道感を出しつつも呪術廻戦が持つ暗さも表している。この併存がたまらないのだ。

5. LADY / 米津玄師

 ジョージアのCMに書き下ろされた米津玄師の「LADY」。朝と昼の間の時間の爽やかさを感じつつもピアノのリフレインで気怠さ、ルーティンであることも表現している。やっぱり私は日常に寄り添ってくれる曲が好きだ。MVでは笑顔の米津さんを見ることができる。私は「打上花火」の少し前ぐらいに米津玄師さん、ハチを知ったわけだが、その頃はこんな一面を見れるとは思わなかった。私が初めて購入したアルバムは米津さんの『BOOTLEG』だった。その頃からは曲の作風も大きく変わったように映る。米津さん自身もずっと変化しつづけているのだろう。

4. カオスが極まる / UNISON SQUARE GARDEN

 私が2023年に知って一番ハマったバンドがUNISON SQUARE GARDENである。ハマったきっかけが「カオスが極まる」であった。BPMがとても早く、ギターサウンドも今まであまり聴いたことがないサウンドで歌詞もめちゃくちゃかっこいい。衝撃を受けた。このバンドは3ピースバンドで3人とも全員やばい。まず、ギターボーカルの斎藤さんは超難しいギターフレーズを弾きながら、これまた難しい特徴的な歌詞の歌を難なく歌い上げている。私は1月にこのバンドを知って、2月にライブを見に行ったのだが、口から音源であった。そして、ベースとドラムのリズム隊もえぐいのだ。ベースの田淵さんはユニゾンのほぼ全ての曲の作詞作曲を担当している。また、アニソンなどに多くの楽曲提供、声優ユニットのプロデュースなども行っている。ドラムの鈴木さんはとてつもなく難しいユニゾンのドラムフレーズを叩いている。ドラムはとにかく手数が多く、3ピースにも関わらず音の厚さが厚いのはドラムの手数の多さが関係しているだろう。

 また、4月に発売されたアルバム、『Ninth Peel』も最高であった。ユニゾンは歌詞が非常に独特であり、これが癖になる。ボーカルの斎藤さんの声も非常に特徴的であり、田淵さんは斎藤さんの声を活かした歌詞作りをしているのだろう。ユニゾンはthe ロックバンドと言っていいだろう。ライブでもMCは殆どなく、次々に曲を歌い上げていく。まさに歌と演奏で示している。

3. 綺麗事 / 須田景凪

 3番めは須田景凪さんの「綺麗事」である。この曲は5月にリリースされたアルバム『Ghost Pop』の一曲である。前回のアルバムが二年前であり、久しぶりのアルバムであった。「綺麗事」は、まさに須田景凪らしいアップテンポのロック曲である。バルーン時代からリフレインを多用しているが、この曲もリフレインもりもりで中毒感が半端ない。サビの語感があまりにも良すぎる!

2. 美談 / 須田景凪

 この曲も『Ghost Pop』の一曲であり、アルバム最後の曲である。須田さんのアルバムの最後の曲は全てローテンポの美しい曲になっており、この曲も例に漏れず。「美談」の前の曲が先程挙げた「綺麗事」なのだが、この「綺麗事」から「美談」の流れが非常に良いのだ。なんて言えばいいだろう、夕方から夜に向かっていく感じかなあ。「美談」はサウンド面では今までの須田さんっぽくはないが、メロディーと歌詞はthe 須田さんである。特にラスサビは圧巻である。ラスサビでエレキギターが入ってくるのがたまらないんですよね。『Ghost Pop』は須田さんの内面のことを書いており、須田さんが音楽として表現していることは、私たち現代に生きる人の多くが共感できると思う。

1. メロウ / 須田景凪

 一番はやっぱり須田景凪さんの「メロウ」です!この曲は『スキップとローファー』のOP曲として書き下ろされた楽曲です。須田さん史上一番明るい曲だと断言していいでしょう。2023年で私が一番聴いた曲がメロウでした。須田さんと言えば暗い曲が多いですが、ずば抜けて明るいのがメロウです。アコギやストリングスが明るさや青春感を引き立たせています。しかし、ただ明るいだけでなく、歌詞からは暗さも読み取れます。サビの「似合う言葉ひとつだって何も言えない僕だ」や、2番では自分の弱さを自覚していることも明言しています。cメロのコーラスもとても印象的でした。「ら、らーらら、らーららら」の所です。今までの須田さんの曲にはこういったコーラスは無かったと思います。2番の「見せかけの美しさはひとつも要らないね」は凄く須田さんらしいなと思います。でも、昔の須田さんであれば書かなかったような気もします。たぶん、今回のアルバムで自身の内面を深く顧みたからこそ出てきた言葉のように感じます。最後の歌詞である「青い温度の正体が恋だとしたら」という言葉も須田さんらしいなと思います。これは恋なんだ!だからこうなんだって断定するんじゃなくて、聞き手に委ねているというか。

 米津さんの「Lady」と同じように、「メロウ」もアーティスト自身の変化を反映しているのかなって感じましたね。たぶん変わっていくものと変わらないものっていうのが誰にでもあって。そのどちらも大切にしていかないといけないなって思いましたね。変化が無かったら人間として終わりのような気がするし、誰しも成長していきたいと思っていると思うから。でも、変化だけじゃなくて、自分の根っこの変わらない、どう頑張っても変われない部分も大切にしよう、愛してあげようとも思います。須田さんの『Ghost Pop』は変わらない暗い部分に焦点を当てつつ、変化していけるところで新しい取り組みをしているアルバムだと感じました!

 

 はい!ということで2023年の自分が聴いた音楽について振り返ってみました。同じ曲をたくさん聴いた1年だったかなと思います。2024年はいろんなジャンル、聴いたことのないアーティストの曲も積極的に聴きに行こうと思います!

 

#音楽

#須田景凪

音楽との邂逅

 皆さんはいつ音楽と出会っただろうか。私は厨二病、思春期真っ只中の中2だった。それまで、音楽というものに興味は無かったし、金曜夜のミュージックステーションを時々ちょっと見る程度であった。

 中1になりスマホを与えられ、それまでよりは音楽を聴く機会は増えたかもしれないが、それでも微々たるものだった。

 そんな音楽なんて興味のなかった私が、明確に衝撃を受けたと言える曲がある。それはボカロP、kemuさんの「拝啓ドッペルゲンガー」である。この曲は私が初めて何回もリピートした曲だ。厨二病だった私は、イントロのシンセサイザーのカッコよさに驚愕した。それと同時に「ボーカロイド」という存在を知った。調声が上手すぎて、最初は人間が歌っていると思っていた。この曲は私をボカロの世界、そして音楽の世界に誘ってくれた。その年は、Deco*27さんの「ヒバナ」やorangestarさんの「アスノヨゾラ哨戒班」、バルーンさんの「シャルル」などの超有名ボカロ曲に出会った。

 私の中で、音楽は感情の発露だと思っている。色々と煩悶する思春期に音楽と出会うのは必然だったと言っていい。中学では朝学校に行く前に必ず音楽を聴いた。なんとか気持ちを昂らせた。今でも朝と夜、起きた後と寝る前には必ず音楽を聴く。

 音楽を聴くことが日常の一部になった。自分にとって欠かせなくなった。音の心地良さと歌詞の思いに酔いしれる毎日だ。音楽は癒しであり、かつ感情を昇華する場でもある。音楽に支えられて今がある。私はこれからも音楽を聴き続ける。

操り人形

操り人形

 ご無沙汰しております。毎度のことながら突発的にブログを書いていきます。今回は日常というより考えのようなものをつらつらと書いていこうと思います。

客観的な視点に囚われる

 皆さんは誰か人と話すとき、主観的に接していますか?おそらく殆どの人が主観的に接していると思います。また、第三者の目を気にしながら話すことも多いと思います。これが客観的に接することだと考えています。物事を主観的に捉えるのか、客観的に捉えるのかということです。今回のタイトルは「操り人形」です。心理的に自分を客観視ばかりしてしまう、まるで自分のことを他人事のように俯瞰して考えてしまう。そんな客観的な視点に囚われる姿が「操り人形」みたいだと思ったのでこのタイトルにしました。ここから私の自分語りをします。私はどうしても他人からの視線、言い換えれば、「他人からどう思われているのか」ということを強く気にしてしまいます。例えば、私は食べるのがとても遅いのですが、もしそれで回転寿司屋さんの回転率を下げてしまったらどうしようとか。他にもアナウンスで「当店、お待ちのお客様が多くいらっしゃいますので、お食事を済ませられた方は速やかに席を空けてください」などと流れたときに、食べるのが遅い自分のことを指摘されているように感じます。自意識過剰と言ってもいいかもしれません。周りの人間が自分に対してどういった感情を抱いているのかがとても怖いのです。そのため、なるべく他人を不快にさせないように接することを心がけることになります。もし自分が過ちを犯して、人に嫌な顔をされるのが嫌なんです。良く言えば、他人に迷惑をかけたくない。悪く言えば、人の負の感情の要因に自分がなることが怖い、または自分を良く見せたい。客観的に見て、なるべく他人を不快にさせない会話、行動をとります。そうすると見事につまらない人間が出来上がります。人間らしさが微塵も見られないような会話や行動ばかりになります。模範的な人間を目指した結果、完全に中身が空っぽになります。「他人にどう思われるか」を極端に意識して綺麗ごとばかり喋っていると何物にもなれません。自然体の自分がなんなのかすら分からなくなってきます。本当の自分って何なの、どれなの?状態です。私は幼いころから人から怒られるのが凄く嫌いだったので「良い子」というのを演じてきていた気がします。小学校では先生の指示に素直に従う子や礼儀のある子が「良い子」と呼ばれます。怒られるのが嫌だから良い子を目指す、これがダメでした。人の顔色を窺ってばかりでは何も成すことはできないです。優等生とは、なろうと思ってなるものではなく、自然にそういった礼儀が身についているのが優等生なんだと思いました。この文章で一番言いたかったことは「他人からどう思われるか」を深く悩む必要はないということです。自然体が人間の本質です。偽ってより良い人物像を演出するより、ナチュラルな方が絶対に良いです。私は人と話しているときの自分が自然体なのかいまいち分かりません。自然体で振舞えた方がおそらく気楽です。潜在的にでも自分を良く見せようとすると本当の自分がよく分からなくなるよ!って話でした。ここまで読んでくださりありがとうございました。

2022年の抱負!

2022年の目標

2022年になって早々だけど目標を書いていく。今年は三つのことを軸にがんばる。

⑴ 楽しくをモットーに

⑵ コミュ障改善

⑶ 挑戦

以上の三つです。まずは⑴から。今年は最高に楽しい年にします。今年は18歳になり、大学生になります。この条件からして最高に楽しまないともったいない気がします。具体的には旅行を沢山したいです。自分は温泉が好きなので今まで行ったことのない地方に行って満喫したいです。他にもサークルにも所属したいし、バイトもやってみたい(自分が楽しいと感じるバイトで)。忙しくしたいです。充実感は第一に忙しさがあると思います。サークルは今のところアーチェリー部やボランティアサークルに入ってみたい。バイトは社会の塾講師をやってみたいです。中学の時、個別の塾で大学生に教えてもらっていたので興味があります。その大学生の塾講師の方に「大学は行っといたほうが良いよ、めっちゃ楽しいから」って言われたのを今でも覚えてます。

次に⑵です。コミュ障改善です。これは⑴とも繋がるのですが、やっぱり独りだと幸福感はあまりないし、人といるときの方が楽しいです。積極的に色んなコミュニティに参加して気の合う友達を作りたいです。最近、「友達は意図的に作るものじゃなくて、自然にそうなってるのが普通でしょ」っていう文章を見て確かにそうだなと思いました。気の合う人がクラスにいなくても別におかしいことではないかなって。様々なコミュニティに参加することで気の合う友達が1人でも出来たらいいなと思います。あとバイトとかをして対社会のコミュ力も鍛えたいです。敬語や社会にはどんな人がいるのかというのを実感できる場所がバイトだと思うので。

最後に⑶です。2020も2021も挑戦しなさすぎたなと。保守的過ぎました。家に引きこもってyoutubeを見て無駄な知識を蓄えてばっかりでした。なので今年は沢山挑戦します。具体的には今月にある英検です。今まで自分は英語が嫌いすぎて英検を受けたことがありませんでした。でも将来的に英語はできないと不味いし、喋れたらかっこいいので頑張ることにしました。受験勉強で少しは英語分かるようになったし。他にもやりたいことはあります。バイトだって挑戦です。投資もやってみたいです、資金はないけど!本も前より読む量を増やしたいです。純文学等は少し難しいからラノベでもいいです。とりあえず読む量を増やします。正直、今年は挑戦ばかりになる気がします。満員電車に乗ることだって挑戦です… 自分はほかの人々より外向的ではないので挑戦していないことが山だくさんです。銀行の預金引き下ろしや服を買うことすらしたことないです。親任せ過ぎました。なので今年は奮起して頑張ります。メンタルを明るく、そしてあまり深く考え込まない。高校ぼっちだった?、そんなことを振り返っても何もないから考え込まない。

てことで今年は最高に楽しくします。最高な18歳生活を送るんだ!

2021年を振り返る

2021年はどんな年?

個人的にこの年は過ぎるのが本当に早かった気がします。楽しい年でもないし逆に悲しい年でもなかったと思います。世間的にはコロナ感染の流行2年目、東京五輪開催などが大きな出来事でしょうか。街に人が戻り、経済も少しずつ回復したコロナ共生の年でした。

 

進路決定

 

僕にとって今年は進路決定の年でした。4月から予備校に通って授業を受けました。しかし、やはり勉強するのは苦手で勉強をあまりしなかったので成績は上がりませんでした。前々から指定校推薦で進学する事を決めていたので予備校は保険的な意味合いで通いました。予備校代を払って通わせてくれた親に感謝です。そして無事に計画通り、指定校推薦で合格する事が出来ました。他の人は皆んな一生懸命努力していて凄いと思う反面、自己嫌悪に陥りそうですが自分は自分だと念じて自己正当化しています。時々「普通に努力出来たら、もっと良い大学行けたのに」とか思いましたが実際に努力出来ないのだからこれが自分の限界、もしくは性格であると思った方がいいです。という事で進路決定したという事でした!

 

生活

 

今年も充実はしてなかったと思います。何せ友達すらいないので。環境が変わってないので仕方ないですかね。体育祭も文化祭も校外行事も独りだと悲しさと寂しさを感じました。日々の生活としては予備校に通っていたので少し忙しかったです。でもその忙しさが独りの悲しみを紛らわせてくれていた気もします(笑)。

 

今年を漢字一文字で!

 

「忍」

です!

 

何故かというと忍者みたいに行動してた事と忍耐の1年だったからです!パッと今の思い付きです。コロナの流行が落ち着くまでの忍耐、そして今の孤独な状況の忍耐。忍者みたいに行動してたのはぼっち行動の比喩です!周りから見たらこいつ1人で何してるんだ?って感じだったと思うので。

 

総括

 

今年も生活自体は昨年とあまり変わりませんでした。コロナ流行も続き環境も同じですからね。僕にとっては「忍」の年でした。皆さんはどんな年でしたか?とりあえず楽しく生きれていたら幸いです。このブログもかなりサボってしまいましたが拙い文章を読んでくださり、ありがとうございます。ぜひ、来年も宜しくお願いします。

 

 

 

 

小学校の頃に受けた「いじめ」について

自分のことになるけど僕は小学校4年生の頃、下校中に沢山の小学校が帰っている通学路で同級生3、4人?に後ろから強く背中を押された。その際に何をされたかは覚えていない。正直、あんまりその時の状況は覚えていないけど自分が大声を出して確かその3、4人はすぐに走って逃げていった気がする。本当に怖かったというか悲しかった。おそらく大人しい自分がどういう反応をするのかという興味で試したんだと思う。あまりの興奮症状と恐怖で涙はぽろぽろ落ちてくるし鼻血もぽたぽた落ちてきた。優しい上級生の方がポケットティッシュを僕にくれた。本当に悲しかった。家に帰った後もずっと泣いていた。この騒動を見ていた(聞いた?)同級生の友達が自分の家に寄って励ましに来てくれたけど自分はずっと泣いていたし友達に会えるような状態ではなかったから親が対応した。その後、親が学校に電話でこの騒動について連絡した。そして後日、結局、先生から注意を受けたのはたった一人だけ。しかも休み時間に教員机の前で一瞬で終わった。本当に学校には失望した。自分の心へのダメージはそんなに軽くはなかった。そんな軽い注意だけで癒えるような傷ではない。自分を歪ませたと言っても過言ではない。言い訳かもしれないけど人間嫌いというか人が苦手になったのはこの騒動の影響がでかい。一番敏感で多感な9歳の頃、人格形成にも影響はでる。

学校の対応方針は絶対に変えるべきだ。むしろ、変えないとまた自分のような人がうまれる。だからいじめが発生したら必ず被害者と加害者の親も呼んで学校で話し合うべきだと思う。いじめって加害者からしたら印象にはほぼ残らないと思うけど被害者からしたら一生その傷は癒えないからね。今後にも必ず影響が出てくる。

中学校には相談室(不登校の人が通ってクラスへの復帰を目指す場所)があるけど確か小学校には無かったかな。小学校にも設置した方が良いと思うな。今の小学生はネットを自由自在に扱えるから知識が沢山入ってくるはず。その分、陰湿ないじめも増えるような気がする。まあそれは偏見か。


 いじめを犯すのは仕方ないよ一回までは。でも繰り返したら駄目だ。繰り返さないように学校でしっかりと指導してほしい。悪質なら警察とも連携して処理して欲しい。学校は隠蔽体質かもしれないけど真の教育はいじめをしっかりと加害者、被害者共に解決して加害者に反省させることだと思う。自分の保身の為に被害者を犠牲にすることはあってはならない。そう北海道の事件を知って強く感じました。

少しでもいじめが減ることを望みます。

芥川賞受賞作『推し、燃ゆ』を17歳が読んでみた。

どうすることもできない息苦しさを感じた

 第164回芥川賞受賞作 宇佐美りん著『推し、燃ゆ』を読みました。芥川賞受賞直後ぐらいに購入していたのですがなかなか読まず、一昨日から読み始めて今日で読み終わりました。私は第163回芥川賞受賞作 遠藤遥著『破局』を前に読んでいたので芥川賞受賞作の物語の雰囲気はなんとなく分かっていました。この『破局』は主人公が少し不気味だがどこにでもいそうな大学生で題にある通り最後は見事なまでの破局を迎えることとなります。そしてこの『推し、燃ゆ』の主人公もまた終始重苦しさが感じられました。

概要

 主人公は女子高校生のあかり。彼女の唯一の生きがいは推しを推すことだった。アイドルグループ「まざま座」の上野真幸くんを猛烈に推している。そしてその真幸くんがファンを殴ったということが一文目で示される。初っ端から衝撃である。あかりは保健室通いであったり病院でふたつほど診断名がついている。病名は明かされていないが生きづらさに大きくかかわる病であることは確かであろう。そんな普通の生活がままならないあかりが唯一心が軽くなれるのが推しを推すことであった。

全体的な感想

 あかりの苦しさがすごい伝わってきた。そして同じように推しの上野真幸くんも生きづらさを抱えて生きてきたのだろう。あかりの病名はわからないが大体このような病気であろうことは予測できる。あかりが普通ではないことを表している描写は沢山出てくる。特に分かりやすい描写はバイトの場面だ。あかりは飲食店のバイトをしているが飲食店では注文や会計など様々な情報が飛び交う。あかりはその情報をしっかりと受け止めて対処することが出来ない。一度で済む作業を何度も忘れて戻ってくるなどやはり普通ではない。忘れること以外にも部屋が散らかっている描写もよく出てくる。そしてあかりの病はおそらく後天性のものではないと私は考える。小学校の漢字の五十問テストもあかりだけ年度終わりまでに合格することが出来なかった。あかりはとても努力をしているがそれではどうすることもできないほどである。『推し、燃ゆ』はそんな生きづらさに焦点を当てた作品である。正直、読み進めるのはつらかった。あまりにも辛い現実があかりを待ち受けているのだ。推しを推すことは彼女の存在証明という意味合いも兼ねていた。だが、もし推しが消えたらどうなるだろう。あかりの生きる意味さえなくなってしまうのだ。それは仕事を定年退職した老後のようなものである。ネタバレはあまりしたくないので全体的な感想はここまでとしておく。是非皆さんに実際に読んでもらいたい。

高校生として自分として感じたところ

 主人公のあかりは女子高生であり作中では17-18歳の場面を描いている。私も作中のあかりと同じでちょうど17歳である。私の身の回りにもアイドルを推している人がいる。私は彼ら彼女がなぜそんなに大金を貢いで推しを推すのかがよく分からなかったのだがこの本を読んで少しだけ分かった気がした。彼らにとって推しは生きがいであり生きる糧なのだ。それだけその推しに対して惹かれたものがあったわけである。でもあかりは彼ら彼女とは決定的に違うところがある。それは推しを推すことだけが彼女の存在証明だということだ。多くの高校生は皆いろんなことに対してアイデンティティを持っている。学校の友人や趣味、部活などだ。でもあかりが生きる理由はただ一つ、推しを推して解釈することだけだ。果たしてそれは悲しいというべきなのかは分からないが明らかに異なる点ではある。読んだ後に自分の背骨のような存在が一つだけということの危険性というか脆さのようなものも感じた。自分の背骨が一本だとすぐに折れてしまう。でもたくさんあれば簡単には折れない。私自身は正直、アイデンティティがない人間だ。仲の良い友達もいないし特に熱中している趣味もない。心の中に大きな空虚が存在している。そんな人間は危機に直面したらすぐに折れ壊れてしまう。私は改めて背骨のような生きる糧が必要というか見つけないといけないと思った。本文のなかで特に印象に残っていた言葉がある。「飛べると思っていたわけではない。それでも音と音のあいだが僅かずつ長くなり、いつか何も聞こえなくなることをあのときあたしはどこかで待ち続けていた。」この箇所である。要するに息苦しさから解放されて楽になりたい軽やかに過ごしたいということだと私は思った。私はずっと重りのようなものがついているのではないかと思うぐらいずっと息苦しい。なんで友達が出来ないんだろう、なんで会話がすぐに途切れちゃうんだろう、なんで人と話していてもあまり楽しくないんだろう、自分を満たしてくれるものって何だろう、幸せってどうすれば感じられるんだろう。そんなことを常々考えてきた。本当に自分は空虚な人間だと思った。あかりも普通との乖離に息苦しさを感じている。息苦しさの正体はまだ分からない。だけどいつかこの息苦しさから解き放たれたら楽になれるのになあと思う。

 ここまで読んでくださった方々、本当にありがとうございました。是非『推し、燃ゆ』を読んでみてください。あと『破局』もおすすめです!

 ありがとうございました。