alone日記

このブログは、ぼっちの変な人が日常や考えを述懐していく日記です。

呪縛

芯はそう簡単に変わらない

心が安定してきたとはいえ、性格がまるっきり変わるようなことは起こらない。心に穏やかさを与える薬を飲んだとしても、そう簡単には下向きな性格は変わらないものだ。ふとしたときに苛まれる。自分の今までに、薄っぺらさに、つまらなさに。

他者を見たり、話すたびに思う。なぜ私はこんな人間なんだろうと。誰しも人生に良いときと悪いときがあることは理解している。でも、どうしてもそんな感情が心の奥底にずっとある。

過去に固執して後悔することが愚かな行為だということも知っている。それでも、自分を恨むことをやめられない。全ては行動することによってのみ解決するということも分かっているつもりだ。でも、行動で解決するほどの単純な問題ではないとも感じている。薬を飲めば、酒を飲めば、ギャンブルをすれば解決する。そんな簡単な問題ではないだろう。

具体的にこの呪縛を振り返れば、その原因が圧倒的な経験不足であることは明白だ。社交性が乏しい人間であるから、人と関わる絶対量が少なかったのだ。人と関わる機会が少ないことは、経験不足に直結する。閉じた自分自身の世界でばかり生きてきたから、人間として成長すべき部分が成長しなかったのだ。

希死念慮に近い部分があるかもしれない。しにたいという感情と一緒くたにするのは違うかもしれないが、「なかなか思考が消えてくれない」という点で似ていると思う。1回深刻に捉えると、またふとしたときにその思考がやってくるのだ。

自分という人間を愛すことができなければ、きっと他者を愛すことも難しいのだろう。子どもの頃に見ていたアニメ『ダンボール戦機』のED曲に「生まれ変わっても僕でいいよ」という歌詞があった。僕はいつかそう思える日が来るんだろうかと、子どもながらにうっすら思っていたような覚えがある。

自分自身を肯定するのはとても難しいことだ。だが生きるための気力を自分自身の中に持っていなければ、人生100年時代を乗り越えるのは相当に難しいのではないかと思ってしまう。自分自身の存在価値を他者や社会に求めるのは危うい。自分自身を肯定できなければ、他者や社会を肯定することもできないだろう。

苦しさを抱えながらも少しづつ進んでいく。それしか道はないのだ。

自助だけではどうにもならなかった件

コロナ禍のときだったか、「自助・共助・公助」、この3つを揃って行うことが大切だよなんて言われていた。共助と公助の前に、第一に自助があるという話だった。ただ人間は、自助だけではどうにもならないことがあるようだ。

自分を騙して生きていくこと

日本には、自分みたいに他者に助けを求めるのが苦手な人がたくさんいると思う。そういう人間は、苦しくて誰かに助けてほしいと思うときでも、平然を装ってしまうんじゃないだろうか。偽装や自己欺瞞と言えばよいか、自分に嘘をつき続ける状態というのは非常に辛いものだ。環境に適応するために自分を騙し続けた末に待っているのは、自分自身の破滅のみじゃないかと思う。いつかボロが出てしまうのだ。

自分を騙して生きてきた先にあるもの

つい最近、大学の卒業式があった。卒業式が終わったあと、自分が本当に社会に出るのだと実感して、心底怖くなった。もともと社会というものに対して、私は恐怖を感じていた。それは、自分に社会でやっていけるだけの能力がないんじゃないかというものだ。私はだましだまし生きてきたという自覚がある。私のなかでは、この現状は精一杯生きてきた結果だと思っているけども、世の中の普通と言われる人たちには全く敵わない。多くの人と良好な人間関係を築き、コミュニティのなかで自分の役割を全うする。自分にはそれが、本当に難しかった。なんとか今までやってきたつもりだった。でも、いつのまにか身体は悲鳴を上げていたのだ。

不安に支配されてしまう

自分に嘘をついて生きる、自己を否定する、そういったことを続けていくと、人間というのは壊れるんだなと実感した。身体に症状が出始めたのだ。私は2年ほど前から日常生活に支障をきたすほどの身体症状に悩まされることになった。「自分は、自分は」と、内面にばかり矢印が向いていたことが要因の一つのように思う。ぐるぐる同じことを考えることを反芻思考(ぐるぐる思考)と呼ぶが、私はその思考に完全に支配されてしまっていた。「自分はこんなにも無能力。だって今までの人生でこんなことしかできなかった。なら生きる理由なんてない」など、自己否定を繰り返しては自分を傷つけていた。

自助だけではどうにもならなかった

約5年前のコロナ禍以降から、こうした自己否定の反芻思考が始まっていた。人間の思考というのはなかなか変わらないもので、約5年間で反芻思考から抜け出せたことはほとんどなかった。自分の手で治せる、治すんだと思っていた。ずっと認知の歪みや思考の歪みなどを自分自身で治すんだという意識でいたが、結局のところそれは無様にも失敗に終わった。

限界状態でメンタルクリニックを受診

ついこないだ私はメンタルクリニック、俗に言う心療内科・精神科と呼ばれる場所を受診した。社会への不安・恐怖で頭が完全に支配されて意気消沈としてしまったからだ。不安による身体症状は、自分の脳・心だけではどうすることもできないと判断したからだった。メンタルクリニックでは病名の診断はなかったが、SSRIと呼ばれる抗うつ薬をもらうことができた。もっと早く行っていれば予行が良かったのではないかとか、思うことはたくさんある。ただ、今更後悔しても意味はない。

自助には限界あり 共助・公助も積極的に活用

最近、「メンタル不調増加、膨らむ傷病手当金 5年で1.6倍、健康保険から」という見出しの新聞記事を読んだ。メンタルヘルス不調で休職し、傷病手当金を受給する人が増えているという内容だ。政府は「自助」を強調するが、身体が壊れてから共助・公助を求めても遅いのだ。自助だけでは厳しいと判断したら、すぐに共助・公助を求めることが大切なのだと実感している。実際問題、共助・公助を求められる環境にあるのかという問題もあるだろう。近年は、人気な心療内科・精神科クリニックは初診予約が数カ月待ちということも少なくない。また、心の病への世間の認知度も昔よりは向上しているとはいえ、心の不調を職場に伝えるのはかなり勇気がいることだ。しかし、自分自身が壊れてしまうよりはましだと思う方がよいと思う。辛苦から耐えて耐えて、それで心身の健康を損なってしまったら、回復するまでには相当時間がかかるのだと思う。何度も言うことだが、自助には限界がある。自分の頭で考えられることには限界があるのだ。他者の力も借りて問題を解決していく、そうした意識を持って心身の健康に向き合っていきたい。

長い地獄から解放されたい

幼いころから、泣けるほど辛くもないが、いつ消えてもいいぐらいの苦しみがずっと底にある。
ずっと長く生きていれば、いつしか他者みたいになれると盲信していたけど、社会に出る前の現在に至っても、全くなれやしなかった。

他者とのコミュニケーションはいつもぎこちないし、誰にもgiveできていない。話に面白みもないし、惹かれる愛らしさがあるわけでもない。当然、深い話なんてできない。

薄っぺらい対人・人生経験では、いつまで経っても深い人間関係を築けない。歳を重ねるごとに、厳しくなってくる。経験がなく、年相応の振る舞いができないからだ。

人と関われるよう、どうにか多少の努力はしたつもりだが、多くの人からしたら「これが努力?何にもしてないじゃん」程度だろう。必死の努力はしていないと自覚している。

人と関わるのが苦手なら、何かに秀でていれば良かったが、なんの才能もなかった。学力では高校偏差値55が精一杯だったし、スポーツでは運動神経がすこぶる悪くて仲間負担でしかなかった。

主体性の欠如も苦しみを増大させた。自分で自分のことを決める、自分で考えて行動する。これが自分は本当に苦手だった。強い意志や熱意も顕現しなかった。

対人経験が圧倒的に不足する中、勉強もスポーツもできない人間は本当に悲惨だ。「孤独」としか言いようがない。自分から関係構築するだけの力が自分にはなかった。成長できなかった。

無気力が苦しみに拍車をかけた。なんのやる気、幸せも感じられないのに生きるのは、ただただ辛いだけだった。最低限をなんとかやり過ごすという、しょうもない生き方しかできなかった。

この地獄をなんと形容すればいいか。誰も自分の苦しみなんか分かってくれないとか、弱くて情けない言葉しか出ない。

なぜ、この結果になってしまったのかははっきりとは分からない。自分の努力不足と先天的な能力不足が1番の原因だというのは明白だが、それだけでこうなるのかと。皆、何気なく過ごしているようで、とてつもない努力をしているのだと改めて思う。でも、それでも自分の無能力にはほどがあるんじゃないかと思ってしまう。幼い頃からこの生きづらさは続いているから、直す機会はあったはずだ。なのに直せなかった。義務教育の失敗なんじゃないかとも思う。

自分に矢印を向けるまでは良かったが、そこからの改善策、努力に問題があった。もっと自分から人に話せと言われれば、その通りと言うほかない。

自分なりに真面目に生きてきたつもりだった。特に中学生までは。自分では真面目だと思っていても、他者から見れば全然だったかもしれない。

私はどうすれば良かったんでしょうか、神様仏様。人の害にはならないよう、気をつけていたつもりでした。

持論だけど私は、自分に価値がないと自覚し、かつ他者からもそう思われている人に生きる意味はないと思っている。社会から完全に拒否され、自分自身も自分の価値を肯定できないなら、その人には存在価値がない。

逆を言えば、自分自身は生きるに値すると考えていれば、その人はどれだけ社会に忌み嫌われていたとしても、生きていいと思っている。

(精神的苦痛が理由で安楽死したい人がいたとして、社会的に有益な人は安楽死を許容されず生きることを促され、社会に有害な人は安楽死制度を利用できる。なんともグロテスクな世界を想像してしまった)

制度的には社会は誰も見捨てないことになっているし、世の中に不要な人はいないという共通理解がある。

でも実際には厳しい。社会から見捨てられた浮浪者はいるし、現実には誰からも好かれない極悪犯罪人もいるし、「反出生主義」を掲げて人間を根絶しようとする人々もいる。

きっと、この人が死んだとしても誰も悲しまない、みたいな人もいるだろう。

人間の価値は周りによって完全に決まるものではないが、自己評価だけで決まるものでもない。他者評価と自己評価の両者に❌がついたら、それはこの世界から去る合図だ。

私は今のところ他者評価は❌に近くて、自己評価は🔺だ。まだどうにか生きたい気持ちはある。

他者評価と言っても、結局は他者目線で考えた自分自身がつけたものだ。それでも、それは絶対的な力を持つ。人が自決するのは、結局のところ愛されていないし、愛することもできないからだと思う。自分自身が他者をどう捉えるのかという部分は、自分を存在するに足るものだと認められるかの重要な材料になる。

他者を通してでしか、自分という存在を認めることはできない。

この長い地獄から解放されるには、自分が変わるか、死ぬかしかない。

どうにかして、必死で自分を変えていくしかない。さもないと、いつしか死が誘ってくるだろう。

必死に自分を変えた末に幸福があればそれに越したことはない。タイムリミットはもう少ない。壊れないように、少しずつ改変して成長していくしかない。

幼い頃からの地獄が終わって、いつしか自分が自分らしく、社会に貢献できればそれで良い。

もう疲れたって言って、その一歩を踏み出してしまわないように。少しずつ沼から上がれますように。

2025年超主観的マイベスト10曲!

毎年のように年末を迎えるのが体感早くなっています。あっという間です。さて、今年も1年間たくさんの曲を聴きました。今年リリースした曲の中で、個人的に最高だった10曲を紹介します。

1.Plazma /米津玄師

TVアニメ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』のOP曲です。自分自身はジークアクスは観てないんですが、あまりに曲が良すぎます。数年前の米津さんって感じの疾走感があります。リリースカットピアノの使用も印象的です。個人的にはCメロがめちゃくちゃ好きですね。リリースカットピアノのフレーズのリフレインで落ち着いたところから早口なボーカルが入ってきて最高です。1月にリリースされ、年間を通して聴いていたので、今年2番目に多く聴いた曲でした!

2.ミッドナイト・リフレクション/NOMELON NOLEMON

2曲目も同じくTVアニメ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』の挿入歌です。いやー、今年はボカロPツミキさんがやっている2人組ユニット、NOMELON NOLEMONにも凄くハマりました。ツミキさんは You Tubeでこの曲について解説しているのですが、「こんな音が鳴ってたんだ!」や「そういうところにこだわっているのか!」といった、驚きと学びがありました。例えば、打ち込みのアコースティックギターの音色を意図的に使っているという話は面白かったですね。あと、ドラムがめちゃくちゃかっこいいです。サビがあまりに良すぎるので、聴いてみてください!

3.BOW AND ARROW /米津玄師

3曲目は、TVアニメ『メダリスト』のOP曲「BOW AND ARROW」です。今年の米津さんの曲は、早めのBPMが好きな自分にぶっ刺さりでした。この曲は、You Tubeを見ていたらノンクレジットオープニング映像が流れてきて、聴いた瞬間に衝撃を受けたんですよね。ばりばりにかっこいいリズム隊に、透き通るが芯のあるストリングス。冷たくて怖くて、そんなスケートリンクの氷の上を非常によく表現した曲だと思いました。米津さん自らメダリストOP曲を担当したいと制作陣に願い出ただけあって、凄く熱量を感じる一曲でした。また、この曲はOP版とフル版でアレンジが違うのも面白い点です。フル版の方が低音域が強くなっているような感じがします。個人的にはOP版のアレンジが好みです!ぜひ聴き比べてみてください。Bメロ歌詞『君はいつだって輝いていた!』が良すぎますね。前の歌詞の語尾をe母音で連続させるからこそ、映える歌詞です。今年一番聴いた曲はダントツで米津さんのBOW AND ARROWでした!

4.HALO /NOMELON NOLEMON

4曲目は、またしても同じくテレビアニメ『機動戦士Gundam GQuuuuuuX』の挿入歌、NOMELON NOLEMONの「HALO」です。この曲は、ノスタルジー×無機質をテーマにツミキさんが書いていて、サウンドと歌詞が自分にめちゃくちゃ刺さりました。ノスタルジーと無機質を共存・融合させるのって本当に難しいと思うんですが、セクションごとにドラムの音を変える、シンセと生ベースを使い分けるなど、さまざまな工夫の上で成り立っています。サビのぶわっとくる感じが大好物です。サイドチェイン(キックをトリガーとしてぐわんぐわんするやつ)最高です!!

5.ここからはエンドロール!(flower&歌愛ユキ)/paff

5曲目は、ボカロP paffさんの「ここからはエンドロール!」です。最近は知らないボカロPの方の曲をあまり聴いていなかったのですが、YouTubeでふとサムネイルが目に留まって、flower曲ということもあって聴いてみたら最高に良い曲でしたね。flowerはこういうダークで疾走感のある曲が本当に合うんです。最初に投稿されたshort verは、サビのギターの疾走感が心地よく、後で投稿されたフル verは音数が増えておしゃれさを感じましたね。まだサブスク解禁されていないので、早く解禁されないかと、うずうずしてます!

↑short ver

↑full ver

6.未完成に瞬いて/おいしくるメロンパン

6曲目は、TVアニメ『フードコートで、また明日。』のOP曲、おいしくるメロンパンの「未完成に瞬いて」です。いやー、近年は毎年スリーピースバンドにはまっているんですが、今年もそうでしたね。おいしくるメロンパンは、ダーク爽やかな曲を得意とするスリーピースロックバンドです。2025年秋にメジャー・デビューしたばかりで、それまではインディーズで活動していました。インディーズではあったものの、代表曲に「色水」などがあり、バンドの知名度はかなり高かったと思います。私もバンド名は知っていたのですが、曲は聴いたことがありませんでした。そんな中、spotifyで適当に音楽を聴いているときに「未完成に瞬いて」を聴いて、『これ、めちゃくちゃ自分好みのロック曲だ!』となりました。透明感のあるボーカルに、主張強めのベース、手数多めのドラム、ちょっと歪ませたギターの音作り、少し気だるげだが爽やかな歌詞と曲調、そのどれもが自分の大好きな特徴でした。メジャーデビューEP『bouquet』も最高でした。

7.旅するユーアイ(feat.花隅千冬&小春六花)

7曲目は、阿修さんの花隅千冬・小春六花歌唱のボカロ曲「旅するユーアイ」です。この曲は、阿修さん初の全国流通アルバム『創造するセカイ』収録曲です。阿修さんは音楽のみならず、MVのアニメーション映像をも自分自身で作っているマルチクリエイターですが、この曲はMVが作成されていないアルバム曲です。『創造するセカイ』は最高だったんですが、その中でも旅するユーアイは自分にドンピシャで好きな雰囲気の曲でしたね。阿修さん曰く、この曲はアルバム制作が続く中で、どこか旅に行きたいなーと思って京都の修学旅行をイメージした曲のようです。そのためか、どこか日本風なサウンド・メロディもあるような気がします。『記憶より深い場所で君が笑う』凄く良い歌詞ですよね。旅の道中で聴きたい一曲です。

open.spotify.com

8.ひかりと欲/ぬゆり

8曲目は、ボカロPぬゆりさんの重音テトSV歌唱曲「ひかりと欲」です。ぬゆりさんは、どうしようもなさを音楽で表現するのが本当に上手いと思います。たぶん考察好きな人はMVと歌詞からさまざまなことを考察しがいのある曲だと思うのですが、私は考察するほど考えることができないので、シンプルに音楽として楽しんでいます。めちゃくちゃ衝撃を受けた曲というよりは、ふとしたときに聴きたくなるスルメ曲です。苦しさを包容して受け入れてくれる、そんな優しさと温もりが「ひかりと欲」にはあると思います。歌詞は凄く暗くて苦しいのですが、サウンドには温もりがあると思うんですよね。消えてしまいたくなる毎日に、優しく寄り添ってくれる一曲です。

9.Quest/秋山黄色

9曲目は、TVアニメ『味方が弱すぎて補助魔法に徹していた宮廷魔法師、追放されて最強を目指す』OP曲、秋山黄色さんの「Quest」です。シンプルに前を向かせてくれるロック曲です。やっぱり黄色さんは良い歌詞書きますよね。歪んだベースのごりごり感もたまりません。『落ちない汚れのないブーツにどこを走れるの』本当にそのとおりだなあと思います。安心安全な場所での経験からじゃ見られない景色がありますよね。誰かと一緒に協力しながら、失敗してもいいから前を歩いて行きたいという気持ちになります。

10.ノンフィクション/神山羊

10曲目は、神山羊さんの「ノンフィクション」です。シングル『きみになれたら』のカップリング曲です。2025年最後の最後に、スーパーかっこいい電子サウンドの曲が来ました。メロディと歌詞のかっこよさに加えて、サウンドがあまりに良すぎる。神山さんはやっぱり電子音楽とケロケロボイスのように加工した機械的なボーカルがめちゃくちゃ合うんですよね。電子ベースとドラムがかっこいいのよ。さみしい夜に聴きたい一曲です。

まとめ

ということで、恒例の2025年ベストソング10曲でした。ロック以外もたくさん聴こうと意気込んでいたのですが、2025年もロックをたくさん聴いてました。ただ、強く印象に残る曲はロック以外も多かったです!2026年は洋楽に挑戦してみたいなあと思ってます。今回は書かなかったですが、藤井風さんの全曲英語アルバム『Prema』や星野源さんの新アルバム『Gen』など、英語が入った曲も少しだけ聴いていました。好きなジャンル・アーティストを増やしていくためにも、洋楽やヒップホップも怖がらず聴いてみようと思います。

ここまで非常に長い文章を読んでくれてありがとうございました。2026年も音楽をたくさん楽しみましょう!!!

大人になれない。

大人びていく同世代:大人びて見える理由はなんだろうか

私は社会に旅立つ手前の年齢だが、同世代は皆、年齢相応に大人びていると感じる。同い年の私と彼らとで、ここまで差が出るのかと思うほどだ。彼らを大人びていると感じる理由の第一は見た目である。大人っぽい見た目を言葉にするのは難しいが、服装がその人自身に合っていて、清潔で、見た目によく気をつかっていると伝わる見た目が大人っぽいと感じると思う。大学にいると、皆見た目に気を使っているんだなあと感嘆する。顔立ちや服装、その人が持つ雰囲気を含め、同世代の見た目には非常に大人らしさを感じる。

会話が上手い人

第二に、同世代のコミュニケーションスキルや会話の巧みさに大人らしさを感じる。初対面の会話において、より会話を盛り上げようとか、そうした心意気で会話を工夫してくれている人が多いと思う。こうした工夫をしようという意識には感心する。たぶん場数を踏んでいるからこそ、できるのだろうと思う。全員が会話を楽しめるよう努力をしてくれる人には感謝しかない。

私は複数人で会話する場合、自ら話しを振ったり、話題を提供したりするのは非常に苦手な人間だ。そもそも、複数人での会話が難しいと感じている。一対一の会話でも話題探しには苦慮するものだが、複数人となると殊更だ。複数人が共通して話せる話題を探すので一苦労であるし、話す話題を皆に振るのはさらに大変だろう。あまり自ら話そうとしない私のような人に対して、話を振ってくれるのはありがたいなと思う。

経験が豊富な人

同世代を大人びていると感じる第三の理由は、経験の豊富さだ。大学生活を無駄にせず、しっかりと有効活用した人に対して、私はすごく尊敬するし、そういう人に大人らしさを感じる。大人らしさとは、やはり余裕なのだろう。心に落ち着きがあるからこそ、出せる雰囲気があると思う。その余裕を生み出すのが経験の豊富さだ。経験が豊富であれば、焦ることが少ない。その落ち着きに大人らしさが垣間見えるのだ。大学生活の中で着実に経験を積んだからこそ、同世代の人は大人びているのだろう。

心の余裕という点では、自己肯定感が高い人にも大人らしさを感じると思う。これは自己肯定感が低い人ならではだと思うのだが、自己肯定感が低い人は物事に取り組む際にどうしても焦りや不安、緊張がつきまとう。自分自身に対する信頼がないから、おどおどして行動しているのだ。一方、自己肯定感が高い人は自分に自信を持っているため、落ち着いて行動できている人が多いのではないかと思う。そうした落ち着きに大人の余裕を感じるのだ。

大人になれないのはなぜか

以上、同世代が大人びて見える理由について細々と書いてきた。ここからは、私がなぜ大人と呼べる資格がないのかを列挙していく。

主体性の欠如

1点目は主体性の欠如である。上記には書かなかったが、自分のことは自分でできるというのが大人である最低条件だと思う。大学生は一人暮らしをしている人も一定数いるし、実家住みでも自分で自分のことを決める機会は多いはずである。自分で自分のことを決めて、行動できる人は大人だと思う。私は先延ばし癖がひどく、決心することがなかなかできない。そのせいで挑戦する機会を多く逸している。それが後に紹介する経験のなさにつながっている。自分から〇〇がしたいという前向きな気持ち、行動が出てこないというのが非常に問題である。

経験の少なさ

2点目が経験の少なさである。主体性の欠如によってより加速度的に問題となるのが経験の少なさだ。全てのことに言えるが、経験がその人を形成し、成長させる。経験の量が乏しければ、人間的な成長はあまり見込めないし、自分自身の価値観に変化もない。人間として生きる上で、成長は欠かすことができないと思っている。何も行動しないことは、人としての力量は現状維持のまま、歳を重ねるだけである。

私は大学生活で挑戦することがほとんどできなかったと感じている。小中高は自分から行動せずとも、やるべきことが所与のものとして与えられていた。そのため、自分から動く必要はあまりなかったと言える。もちろん、人間関係などは自分から動く必要があるが、それ以外は能動的に動かずともそこまで問題がなかっただろう。対して大学では小中高と比べものにならない長い自由時間がある。この自由時間をどう使うは自由で、どんな使い方をしてもよい。そこで直面するのが、自由時間で何をするかという問題だ。主体性があれば「居酒屋でバイトしたい」「テニスサークルで遊びたい」「小説を書きたい」など、さまざまな行動を通して、挑戦から成長することができたはずである。

しかし、私は無気力で回避的であったため、何にも挑戦しなかった。具体的には、大学の講義以外、部屋にひきこもってYouTubeを見るなど怠惰に過ごしていたのだ。バイトやサークルに勤しむ選択肢もあったし、実際にそれらに手を出したが、結局は長く続かなかった。その根底には、自己肯定感の低さやコミュニケーションスキルが拙いことにより人間関係を築けないといった問題があった。特にアルバイトでは自分の無能力さ、とりわけコミュニケーションに難を抱えていることを自覚することになった。

こうした無能力を自覚したとき、私は諦めや恥ずかしさ、怖さを感じるようになってしまった。挑戦できなくなってしまったのだ。これが一層、自分が行動に踏み出すことを妨げてしまった。

メンタル面の問題

最後はメンタル面の問題だ。メンタル面で問題を抱えている人は大人ではないと言いたいわけではない。ただ、社会人として仕事をして真っ当に生活していくためには、メンタル面の不調は非常に大きな問題だ。主体性の欠如と経験の乏しさ、その両方の根底にあったのが、メンタル面での問題である。正直、昔から私は生きていくのに苦痛を感じていた。幼稚園児のころから人と関わるのは苦手であったし、小学生になっても他者とは仲良くなれなかった。中学生のころは唯一楽しかった記憶が強いけれど、虚しさもずっと存在していたように思う。生きるのが明確に苦痛になったのは高校生のころである。誰とも仲良くできず自分の無能力さをより自覚するようになった。ここでいう無能力とは、勉強ができないなどではなく、他者と上手く関わることができないといったEQ的な面での無力さである。高校時代はコロナ禍も重なり、内にこもる姿勢が強くなった。大学では自由時間が非常に多く、反芻思考(ぐるぐる思考)でさらに心を病んでしまった。

ここまで人間関係を上手く築けない件について書いてきたが、一番の問題は人生を楽しいと思える経験がほとんどなかったことである。憂鬱が人生のほとんどを占めていたように思う。率直に人生が全く楽しくないため、心身が不調になるのは当然だったのかもしれない。電車に乗ると下痢になったり、人の多い駅や道にいるとパニック症状的に喉元に不快感を感じて吐き気を催したり、面接前に過度に緊張して目が疲労して吐き気がしたり、外食が無理になったりと、さまざまな身体の不調が表れるようになった。心理的には、無気力と無能力が自分を支配するようになった。何をしてもどうせ失敗するだろうと全てを恐れた。

こうした症状は社会人として生きていくためには早急に改善するべき問題だ。もう自分自身の過去は変えられない。自分が人と上手く関係を築けないという事実も変えようがない。まずは事実を冷静に、優しく、ありのまま受け容れることから始めるしかないのだろう。精神科や心療内科への受診も半年以上前から検討しているが、なかなか決心がつかない。ただ、今の状況を自分自身で打開できるとは思えないので、医療の世話になる必要があると思っている。

まとめ

今回は同世代が大人びて見える理由と私自身の大人になれない問題について書いた。自分自身を振り返ってみて、少々完璧主義だったなと思った。早い段階で何事も諦めすぎていて、夢なんか到底持てていなかったなと。もっと何かを求めるべきだったと思う。大人になるには、ある程度割り切ることも大切なんだろう。今の自分をありのまま認め、ありのままを愛するのはとても難しいことだ。執着していた何かを諦めた途端、するっとその何かを手に入れることができたという声も意外と聴く。諦めることが、大人になる第一歩なのかもしれない。

「誰かと繋がりたい」と「ずっと1人でいたい」気持ちのジレンマ

こんにちは。今回は自分がずっと思い悩んでいるジレンマについて軽く書きたいと思います。それが、「誰かと繋がりたい気持ち」と「誰とも関わらないで静かに過ごしたい思い」のジレンマです。

皆さんも一度はこのジレンマに直面したことがあるのではないでしょうか。私は誰とも関わらず1人で心の平穏を保っていたい思いと、やっぱりそれでも誰かと関わりながら生きていかないと幸せになれないし、生きていけないという気持ちがずっと衝突しています。

社会的動物の宿命

まず、「誰かと繋がりたい気持ち」について考えます。私たち人間は社会的動物で、他者との関係なしで生きていくことはできません。なので、他者と関わりたい欲求は必然といえば必然だと思います。現代社会では人の手を借りないと生活は成り立たないですし、山奥でひっそりと暮らすにしても1人ですべてをこなすのには限界があります。このように生物として生きていくために、人との関わりは欠かせません。

また、感情的にも人との繋がりは重要だと思います。今回のテーマでは、こちらの側面の方がより重要です。世の中には、誰とも関係を持たずとも幸福感を感じることができるという人もいるみたいです。しかし多くの人は他者との関係を絶たれると、塞ぎ込んで憂鬱な気分になってしまうのではないでしょうか。私もご多分に漏れず後者で、1人の状態で楽しんだり、幸福感を感じたりすることが難しい人間です。なので、人生の充実感や満足感を感じるためにも、人との関わりは避けては通れないものです。

ずっと1人で、心の平穏を保ちたい

人と関わりたい欲求に反して存在しているのが「誰とも関わらないで心の平穏を守りたい」という気持ちです。人と関わることは生きていくために、そして幸福感を得るために必要なことですが、良いことばかりではありません。その最たるものが人間関係ですね。人と関われば充実感などを得ることができるかもしれませんが、その分さまざまな面倒事が押しかかってきます。私はそれが怖くて、なかなか人と繋がることができないでいます。人と関わって傷つくのが怖いだけじゃなく、自然に生きていても人とうまく関係を築けないという問題もあります。

人と関わるバランスは、どうしたらいい?

人と関わるのは本当に難しいなと感じます。たぶん友達がいないとやっていけない!って人は積極的に人に関わりに行くので大丈夫だと思うのですが、自分みたいに自然に仲良くなれたらそれでいいという考えの人は、能動的に人と関わりにいかないので孤独に落ち着きます。ただ、やっぱり孤独にも限度があって、適度に人と関わっていないと気がおかしくなってしまうような気もしています。

人と関わった方が精神衛生的にも良いし、自分の成長のためにも社会と積極的に関わったほうがいいと強く感じるのですが、その一歩がなかなか踏み出せません。一歩を踏み出したとしても、なかなか人と上手く関われなくて仲を深めることができないのです。

「積極的に自分から話しかけるなどの努力が足りないからでは?」と問われれば、そうですとしか言いようがありませんが、多くの人は人との関係構築にこんなにも苦戦するものなのかなあと思います。おそらく自分が上手く対人関係を構築できない理由には、他者への興味のなさがあるような気はしています。他者にあんまり興味はないけれど、自分1人では充実感や幸福感を感じることができない。この状態はかなりつらいですね。

他者と関わるのが怖いので社会との関わりを最小限に、部屋に引きこもって自分自身との内省、反芻思考(ぐるぐる思考)を繰り返すばかりになります。「上手く人と話すことができなかった」「過去が薄っぺらい無能力な自分には何にもできない」「結局、今までもほとんど誰とも仲良くなれなかった」のようにネガティブ思考をこじらせることになってしまいました。

対人関係は自分のみで完結できるものではないので、すぐに直せるようなものでもないです。自分から知らない人にも飛び込んでいかないと、きっと道は開かないんだろうと思います。改めて「他者に興味を持つ」「積極的に話す」これだけでも意識したいと思います。

まとめ

今回は「誰かと繋がりたい」と「ずっと1人でいたい」気持ちのジレンマについて書いてきました。結論としては、心の平穏を保てる程度に他者と適度に関わることが大切であるということになりました。誰とも繋がることができないと本当に病んでいくんですよね。たくさんの人と関わるのも気疲れするし、自分が傷つかないペースで人と関わっていくことが大事ですね。人との交流を完全には閉ざさないことを肝に命じたいです。ここまで読んでくれてありがとうございます。拙くて抽象的ですが自分の頭で考えたことを言葉にしているので、これからも読んでくれたら幸いです。

26卒のぼっち就活生が就活を振り返る!

「就活」を振り返る

さて、就職活動もひと段落した段階で、26卒が「新卒就活」について振り返ってみたいと思う。就活でしくじった私のエピソードを通して、就活生の方の参考になれば幸いである。

まず、私の属性について軽く紹介。中堅大学文系、課外活動:文化部、バイト:、ゼミ:○、資格:なし、性格:友達がほとんどいないコミュ障

大学入学以前「就活」への恐怖心

私は昔から就活に対して恐怖心を持っていた。自立した大人、そして社会人になるのに必須の儀式である就活は、一般的な大学生であれば誰もが通る道だ。私はもともと大人になることに対して悲観的であった。というのも、思春期の自分には、自分自身がちゃんとしっかりとした大人になった姿を全く想像できなかったからだ。こんな人間でも大人になれるのか、生きていけるのかという漠然とした不安が思春期から存在していた。そして、この不安はものの見事に的中する。自分が思春期に考えていた通りの現実に直面するのだった。

大学3年生の春・夏

大学1、2年生を適当に過ごし、大学3年生となった春。近年は就職活動が早期化しており、3年次の春から夏インターンシップの募集が開始し、実質的には就活が始まる。3年生から就活はスタートなんだとキャリアセンターに口酸っぱく言われたのだった。私も頭では就活について何かしらの行動を取らないといけないということは分かっていた。ただ、行動には移さなかった。大学の講義や新しく始めたバイトでの忙しさを理由に、就活を後回しにしたのだ。6月はライブへの参加などを理由にほとんど何もしなかった。蒸し暑くなった7月からは、さすがにインターンシップとやらに応募しないとまずいということを自覚し始めた。7月中旬にもなると多くの企業の夏インターンシップの応募は終了していた。仕方なく、応募できる企業を探してエントリーすることにした。

インターンシップ参加にあたってまず直面したのが、「どの業界・企業に応募するのか」である。自分がやりたい仕事、働きたい業界が決まっていれば楽ちんなのだが、やりたいことなど微塵もない私のような人間にとっては大きな壁だった。壁だと捉えたのが間違いであったことには後で気づいた。夏インターシップの段階で業界を絞る必要はほとんどないのだ。出遅れているにも関わらず、業界を絞ることを優先していた。考えた結果、マスコミ業界に挑戦してみることにした。理由は単純だ。マスメディアを通して社会課題の解決に寄与できると考えたためだ。欺瞞に満ちた薄っぺらい理由のようだが、本心ではあった。

マスコミを中心に何社か応募した結果、書類選考を通過した1社の面接を受けることになった。その会社は日本でも入社難易度がトップクラスに高い新聞社だった。私は人生で面接を経験したことがなかった。面接っぽい経験は学校の三者面談ぐらいであり、フォーマルな面接は初めてだった。大学の試験期間が終わったばかりの時期に、ほぼ全く練習をせずに人生初の面接に臨んだ。結果、惨敗した。無論、当然の結果だった。オンライン面接だったが、緊張で頭は回らず意味の分からない話を話していた。面接官は非常に優しかった。面接官が優しく寄り添うような話し方、表情をしていたら、確実にその面接は失敗していると後に学ぶことになる。

3年時の夏期休暇:4社のインターンに参加

夏期休暇では最終的に4社のオープンカンパニー・インターンに参加した。参加したどの企業のインターンも参加難易度は非常に低いものであった。今思えば、あのときにもっと多くの企業、そして多種多様な業界に応募しておけばよかったと後悔している。3年次夏のインターンは早期選考に呼ばれたり、本選考で優遇されるなどの参加特典があるため、超重要なのだ。

焦りを感じ始めた秋:1社の本選考の面接に挑む

9月に入り、季節も秋になるとさすがに焦りが出てきた。マスコミを中心にエントリーしたが、ことごとく書類選考で不合格。マスコミはインターンシップ選考で適性検査を課す企業は少ない。その代わりに重きを置かれているのがESだろう。マスコミは採用人数が少ないため、入社難易度が非常に高い業界だ。業界を一個に絞るのは危うかった。

そんな中、夏期休暇中のインターンに参加した1社から早期選考の案内が来た。正直、早期選考の時期が早すぎて衝撃を受けた。26卒の早期化の波を強く感じた。その企業の選考では、ほぼ初めてやった適性検査を通過し、10月上旬にオンライン面接を行った。結果は不合格。今回は忙しいなかでもほんの少し練習して挑んだが、本番はボロボロだった。一次面接であったため、ガクチカを中心に問われたが、その回答がダメダメであった。端的に言えば、「自分がやったこと」ではなく、「先輩がやったこと」をガクチカで話してしまった。ガクチカとして話すネタがなかったというのが正直なところだった。ないならば、ないなりに少しの誇張、または嘘を混ぜて話すべきだっただろう。なんと私は馬鹿正直に本当のことをペラペラと話していた。「この学生、受かる気ないだろう」と思われてもおかしくないほどの愚かさである。この企業の選考を終えて、就活の難しさを痛感したのだった。

方向転換の冬:全く見ていなかったIT業界を目指し始める

10月、11月と冬の気配を感じる季節となった。この時期に就活で大きな方向転換を行った。今まではマスコミを中心に見ていたが、今まで全く見ていなかったIT業界を見るようになった。きっかけはキャリアセンターでの相談だった。何か自分に向いている業界はないかと相談したところ、IT業界が向いているのではというアドバイスをいただいた。特にやりたいことなどなかったため、IT企業にたくさんエントリーをして、オープンカンパニーに応募していった。IT企業は数が多く、インターンの参加に適性検査や書類審査を課さない企業もあったため、そうした企業のインターンに何社か参加した。これが後の私を大きく助けることになった。インターンが授業に重なることも何回かあり、そのたびに早期化する就職活動への嫌悪感を感じていた。馬鹿真面目に講義を受ける自分は馬鹿かもしれないと思ったりもした。

地獄の1月:インターンに、早期選考に、卒論に、試験も

そしてついに2025年を迎えた。1月は正直地獄であった。なぜなら卒業論文を終わらせる必要があったからである。卒論に加えて就活、大学の試験勉強が重なり、多忙を極めていたと思う。幸い、私が所属していたゼミは緩かったため、卒論は早々に書き上げて提出することができた。1月の下旬は大学の試験期間と早期選考の応募が重なった。学生のことを全く考慮していないスケジュールだなと感じたものだ。大学の試験を受けつつ、ESを書いた。私は応募する企業が少なかったこともあり、1月をどうにか乗り越えることができた。

説明会に追われた2月:就活が本格化

まだまだ肌寒い2月。ついに就活が本格化してきた。政府の公式的な就活スケジュールは3年次の3月に本選考解禁だが、これが形骸化していることは先述した通りだ。2月は政府のスケジュールでは本選考が始まっていないはずだが、この時期から本選考の説明会や本選考応募が急増する。2月は1日1回は説明会が入っているというようなスケジュールだったと記憶している。本選考解禁前最後のインターンも行われた。ついに就活の本番が始まったんだということを否が応でも実感させられた。IT企業を中心に多くの会社の説明会に参加していった。また、早期選考の面接も2月から始まり、何社か受けた。

本選考解禁の3月:不安で頭がいっぱい、勝負のとき

ついにやってきた3年次の3月。この時期が精神的に一番厳しかった。2月時点での内定率が報道され、50%以上というあまりの内定率の高さに私は焦燥感と不安でいっぱいになっていた。3月上旬は食べ物が喉を通らない日が何日もあった。本選考にエントリーしても適性検査や書類選考でほとんどの企業でお祈りをされた。そんな中でも何社かは面接に進むことができた。3月は月から金まで毎日面接がある週や一日で2社の面接を受けることもあった。3月中旬から下旬にかけて最終面接に進む会社も片手で数える程度あり、正念場だった。そして、なんとか誕生日の次の日に初めて内定をいただくことができた。内定をいただいた時は嬉しすぎて、電話が終わったあとにジャンプしてしまった。結果的に3月で2社から内定をいただき、これで就活はほとんど終了することになった。

落ち着いた4月:心にゆとりが生まれる

3月中に内定を得ることができたこともあり、新しく本選考にエントリーすることはなくなった。4月は面接の予定がある会社を2社受けた。どちらも大企業であったが、実力不足もあり、最終面接と二次面接で落ちてしまった。その2社に落ちて以降、就活のやる気はなくなってしまった。今振り返ると、このときにまだ本選考エントリーすべきだったと感じている。私は「絶対にここに行きたい」という企業が存在しなかった。実際、ある程度規模が大きく安定している会社から内定を貰えればそれでいいというのが本心だった。ただ、内定をもらって一定期間経つと感じてくるのだ。「本当にこの会社に決めていいのか?」と。いわゆる内定ブルーだ。私は内定ブルーとなり、新たにITの大企業数社に本選考エントリーした。しかし、結果は見るも無惨な惨敗。書類・適性検査で全て落ちてしまった。私は就活を始めてからというもの、SPI対策をあまりしてこなかった。数学が嫌いすぎて、勉強したくなかったからである。数学の勉強から逃げてきたつけが、ここで回ってきたのだった。正直、3年夏の段階でSPI対策に本腰を入れていれば、本選考でここまで適性検査落ちすることはなかっただろう。これは完全に自分の失態だった。ただ、これが自分の実力であり、現実なんだと受け止めた。

現在は(4年の6月)、今の内定先に納得している。この時期になると、応募できる企業も大企業を中心に少なくなってくる。新たに本選考エントリーしてもよいが、通過する可能性は非常に低いものだろう。そのため、現在は98%就活は終了という心境である。

27卒に伝えたいこと

就活を経験して27卒に伝えたいことは、「その時やるべきことに着実に取り組め!」ということだ。抽象的な表現になってしまうが、これに尽きる。具体例として、私が失敗したSPI対策を挙げたい。多くの学生は夏インターン応募の際に初めてSPIを解くことになるだろう。その際、しっかりと勉強時間を確保してSPI対策に時間をかけたい。SPIは本選考でも重要であり、早くに対策しておいて損はないからだ。夏インターン応募の時期は夏インターン対策に、早期選考の時期は早期選考対策に全力で取り組む。これが大切だ。インターン選考と本選考でやることはほとんど変わらない。よって、その時やらねばならぬことに着実に取り組む。これができていれば、きっと大丈夫だと思う。

27卒への具体的なアドバイス

最後に上から目線で恐縮だが、27卒の就活生の皆さんへ3点ほど具体的なアドバイスをしたい。まず1点目は、「3年夏の段階では業界は幅広く見よう」だ。就活生がよく陥りがちな失敗が「早い段階で業界を絞りすぎること」だ。マスコミや食品メーカー、出版などは採用数が少なく、難易度の高い業界であることは明確である。よって、特定の業界に絞って就活をすると、全落ちしてしまう可能性もある。そのため、少なくとも夏の段階では業界は幅広く見るべきだろう。夏は採用数の多い業界(金融やSIer)のインターンにエントリーしておいて損はないと思う。

2点目は「面接で話せるガクチカがないなら、新しく何かに取り組もう」だ。このアドバイスは私のような完全無気力で学生時代に何もしていない学生に向けてのものだ。選考のES及び面接では、学生時代に頑張ったこと、通称「ガクチカ」が必ずといっていいほど聞かれる。そのため、ESに書けるような経験がない学生は詰むのである。そういった学生に対しては、自分が言うのもおこがましいが、何か新しいことに取り組むことを勧めたい。具体的にはアルバイトやサークル活動がおすすめだ。アルバイトやサークルに取り組むことで、ガクチカとして話せるエピソードを見つけることができるだろう。ガクチカを通して、自分はこうした役割を果たせる人間だというのを伝えられるようにしたい。

よくガクチカで嘘を話す就活生がいるが、それは辞めたほうがよい。深堀りされたときにスラスラ話せる頭の持ち主であれば大丈夫かもしれないが、ほとんどの人は嘘を深堀りされた時に上手く話せない。誇張するのはまあ良しとして、エピソード自体を捏造するのは本当によくない。ガクチカとしての強い弱いはあるかもしれないが、本当のことを言うのが学生にとっても安心だろう。3年次で今まで何もしてこなかった学生はぜひバイトしてほしい。少しは話せるエピソードが見つかるはずだ。

3点目は「できるだけ早い時期から就活を始めよう」だ。ここまでインターンの重要性などについても言及してきたが、やはり早い時期から始めることが重要だ。特に近年は企業による選考活動の早期化が著しく、3年次の春から就職活動を始めることが一般的となっている。私自身、3年次の春から始めるべきだったと後悔している。夏インターンシップの応募は6月が佳境を迎えるが、最近は5月締切の企業も増えているはずだ。早期選考や本選考優遇などの特典を得られるインターンシップは学生にとって非常に魅力的であるため、できるだけ早い時期から就活を始めて選択肢を多くしたい。

早い時期から就活を始めることは、選択肢を増やす以外にもメリットがある。それは経験を積めることだ。インターンの選考で落選してしまったとしても、選考対策した経験値はのちに活きる。ESの書き方や適性検査対策など、インターン対策は本選考対策に直結するのだ。「夏インターンで複数の業界の企業に20社以上エントリーする」これが近年は重要だと思う。

最後に

ここまで長々と書いてきたが、冗長な文章を読んでくれた読者の方々には感謝を申し上げたい。私は高校時代から就職活動に対して甚だしい恐怖感を抱いており、「就活を乗り越えられる気がしない」と思っていた。しかし、しっかりと選考の対策を行えば内定は取ることができると実感できた。私のように自分自身のことを社会不適合者だと思って、就活は無理だと諦めている人もいるかもしれない。でも、諦めないでほしい。選考対策などに着実に取り組めば、きっと成果は出るはず。また、大学生活の充実が、他の何よりも最大の就活対策になる。大学生は大学生活を楽しんでほしい。このブログ記事が27卒の方を始めとした就職活動中の学生の参考になれば幸いだ。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

#就職活動 #就活 #26卒 #27卒