alone日記

このブログは、ぼっちの変な人が日常や考えを述懐していく日記です。

操り人形

操り人形

 ご無沙汰しております。毎度のことながら突発的にブログを書いていきます。今回は日常というより考えのようなものをつらつらと書いていこうと思います。

客観的な視点に囚われる

 皆さんは誰か人と話すとき、主観的に接していますか?おそらく殆どの人が主観的に接していると思います。また、第三者の目を気にしながら話すことも多いと思います。これが客観的に接することだと考えています。物事を主観的に捉えるのか、客観的に捉えるのかということです。今回のタイトルは「操り人形」です。心理的に自分を客観視ばかりしてしまう、まるで自分のことを他人事のように俯瞰して考えてしまう。そんな客観的な視点に囚われる姿が「操り人形」みたいだと思ったのでこのタイトルにしました。ここから私の自分語りをします。私はどうしても他人からの視線、言い換えれば、「他人からどう思われているのか」ということを強く気にしてしまいます。例えば、私は食べるのがとても遅いのですが、もしそれで回転寿司屋さんの回転率を下げてしまったらどうしようとか。他にもアナウンスで「当店、お待ちのお客様が多くいらっしゃいますので、お食事を済ませられた方は速やかに席を空けてください」などと流れたときに、食べるのが遅い自分のことを指摘されているように感じます。自意識過剰と言ってもいいかもしれません。周りの人間が自分に対してどういった感情を抱いているのかがとても怖いのです。そのため、なるべく他人を不快にさせないように接することを心がけることになります。もし自分が過ちを犯して、人に嫌な顔をされるのが嫌なんです。良く言えば、他人に迷惑をかけたくない。悪く言えば、人の負の感情の要因に自分がなることが怖い、または自分を良く見せたい。客観的に見て、なるべく他人を不快にさせない会話、行動をとります。そうすると見事につまらない人間が出来上がります。人間らしさが微塵も見られないような会話や行動ばかりになります。模範的な人間を目指した結果、完全に中身が空っぽになります。「他人にどう思われるか」を極端に意識して綺麗ごとばかり喋っていると何物にもなれません。自然体の自分がなんなのかすら分からなくなってきます。本当の自分って何なの、どれなの?状態です。私は幼いころから人から怒られるのが凄く嫌いだったので「良い子」というのを演じてきていた気がします。小学校では先生の指示に素直に従う子や礼儀のある子が「良い子」と呼ばれます。怒られるのが嫌だから良い子を目指す、これがダメでした。人の顔色を窺ってばかりでは何も成すことはできないです。優等生とは、なろうと思ってなるものではなく、自然にそういった礼儀が身についているのが優等生なんだと思いました。この文章で一番言いたかったことは「他人からどう思われるか」を深く悩む必要はないということです。自然体が人間の本質です。偽ってより良い人物像を演出するより、ナチュラルな方が絶対に良いです。私は人と話しているときの自分が自然体なのかいまいち分かりません。自然体で振舞えた方がおそらく気楽です。潜在的にでも自分を良く見せようとすると本当の自分がよく分からなくなるよ!って話でした。ここまで読んでくださりありがとうございました。